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2008年4月 6日 (日)

奉仕の道を歩むまで 7

Kamakura
Club20house
Ajmc20plate


(NO1に戻る→http://141.txt-nifty.com/141/2008/03/post_0f3f.html

   その写真を額に入れて飾る時に私は光の方々による
      インスピレーションを感じるように聞きました

 [ まだ未来は変えられます がんばって地球を救って下さい 

と聞こえたように感じて まだ残りの絵のように燃えている地球から
たくさんの宇宙船が飛び出している絵のようにはならなく出来ると
知らされたのですその時にフッと[食べるものも水も無くとても苦しみ
死んでゆく小さな子どもたち
]の飢餓の様子とその痛み
苦しみ悲しみと そしてそばにいる母親の気持ちまでもが自分のよう
にはっきりと感じ判りました!

光の方々は[常に]これらの地球の飢餓や貧困などで苦しむ子供達
の事が見えているし いつも判っていると言うという感じでした  
それは何かとても重要で最優先しなければならない事のように強く
はっきりと感じました  自分の子どものようにも感じたのです!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
         奉仕の道を歩むまで 7


そして[世界の飢餓を全人類の認識のうえで終わらせる事]がなにか
とても重要なこと・・・・と思うように知らされたのです 

    この事と[燃えている地球の絵]の事と交差しました

       その時に過去の事が思い出されました

1度目に光の方が僕と由紀子さんに現れてくれた後に沖縄から戻った
由紀子さんは1枚のレコードを買ってきました そのレコードを買うと
何パーセントかがアフリカの飢餓で苦しむ子供たちを助けるための
支援になると言うもので [ We are the World ] でした

由紀子さんのその優しい気持ちは僕にも伝わりました 
そして2人で利益の33%を寄付・支援に回すためのDAPという
会社を作りました

当時バイクの革ツナギは売りっぱなしに近い現状で修理やサイズ
調整は何ヶ月も後回しにされていたので1週間で出来るバイクウェア
のリフォームからはじめました 

          すると不思議な事が続きました 

ワッペンの取り付けの仕事が入りそのワッペンを買いに上野の
光輪モータースに行ったら逆にツナギやバイクウェアの仕事が
山ほどもらえる事になったり それらを直したり修理してくれる所も
すぐに見つかったり 日本で1番の皮革問屋のストック小島(浅草)
さんから世界に通じるレザーウェアの開発に関わる事になったりして
新しい商品のデザインも誰かに書かされているかのように何枚も出来
それを小島さんにより優先的に特許申請してもらい まったく新しい
バイクウェアやグローブなどが出来上がりました 

福生のアメリカンハウスを借りて日米&世界のバイク仲間のための
ライダーズハウスもできました 

赤線のお店[シスターバー]と16号のベース前のお店を経営している
ヤギさんから1冊の本をもらいました[進駐軍モーターサイクル・クラブ]
というベースの軍人さんたちのバイククラブ[AJMC](オール・ジャパン
・モーターサイクル・クラブ)の写真記事の本でした 
http://www.hakuraido.com/hakuraido_01/ajmc/newpage1.html

著者の蔦森 樹さんを紹介していただき吉祥寺でお会いしました
するとAJMCは1945年終戦から続いた日本最古のバイククラブなの
に解散するかもしれない事 
毎年クリスマスには当時から横浜の孤児院[エリザベス・サンダース
ホーム]
https://www.google.co.jp/search?hl=ja&tbo=d&rls=com.microsoft:ja:IE-ContextMenu&rlz=1I7ACAW_jaJP394JP394&tbm=isch&source=univ&sa=X&ei=Jxi_UL_wMs71mAXE94DoDA&ved=0CEwQsAQ&biw=1017&bih=499&q=%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%B6%E3%83%99%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0

に子供たちのプレゼントを持ってバイクで16号を走り会いに行って
いたことなどが判りました 16号ゲート前のバイクショップ[ケイショウ]
の会長さんの紹介でAJMCのプレジデント[チャールス・カーソン]さん
と会うことになり ストック小島・国際部の若林さんの通訳でチャールス
さんと話しました そして私がAJMCの後継者となりクラブの発展を
まかされることになり誓約書にサインをして任命されました 

そしてAJMCブランドを作ってクラブ予算・活動費・孤児や恵まれない
子供たちへバイクを通じて貢献・寄付が出来るようにと考えました
仕事の量もどんどん増えて自社工場を小島さんのビルの1階に作る
計画や新宿・西口の小島さんの弟さんの不動産屋さんの店舗も
借りる計画も立ちました

当時の計画にはアパレル・ファッション・デザイン学校の生徒さん
たちのデザイン・アイデアを商品化する計画やニューヨーク・パリ海外
の生徒さんたちにも同じチャンスを与える事ができる計画   

僕の希望でアメリカの[ヘルス・エンジェルス]の看板ジャケットや
グッズ開発計画 アメリカ・ストリート・グループのチーム・ジャケット
開発と写真集ビデオ類の開発などいろいろとやる事ができました
(19歳の時に見た映画[ウォリアーズ]とヘルス・エンジェルスの
昔の義理と人情を重んじているところなどがAJMCと通じていて) 

これらの事が由紀子さんとたった7千円ではじめてから とんとん
拍子にスムーズに まるで誰かにお膳立てされているかのように
運ばれていきました そしていよいよユニセフや現地への直接の
支援も出来るようになった時に 当時は判らなかったのですが 
Aによってすべてを奪われてしまいました・・・・ 

     住む所も お金も 記憶までも奪われました・・・・

Aが実行に移す前に2度目のバスケットボールくらいの青い発光球体
の方が僕のバイクのタンクの上に現れています それは判らないように
私に入っていたAへの警告だったのです しかしAは光が天上界からの
光であり警告の意味である事を知っていて実行してしまいました

そして関係のない病気の母や父 弟夫婦と箕輪君をも巻き込んで
Aは人間とは思えない事を続けたのです・・・・・・・・

この時の光の証人の小林さん(NO1に書かれている人)はAにより
会えなくされてしまいました 小林さんもAに苦しめられたようです

1度目の光の方が現れてくれたのは僕と由紀子さんをAが別れさせる
計画を実行しようとしていたAに対しての警告だと後から判りました

由紀子さんはとても長くAにわからないように苦しめられた事を光の
方々により後から知らされて判りました・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

つづきはhttp://141.txt-nifty.com/141/2008/04/post_6d87.html


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