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2010年2月13日 (土)

アスファウさんの学校(3)

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『世界の肖像』から http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=50476320&comm_id=1808806

そして、アスファウさんは、決断した。

「子どもたちのために、生きて行こう!」

大学への進学をやめ、
孤児院を兼ねた校舎で、
子どもたちと暮らし始めた。

アスファウさんの学校(2)より
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=50447926&comm_id=1808806


生徒の数は、増え続け、
5年もたたないうちに、
1000人を超えていた。

孤児の数も360人を超えた。


校舎も増築を繰り返し、
教室を確保してきたが、
それももはや限界だった。


そして、高い失業率の中、
学校を卒業しても、
必ずしも安定した仕事につけるとは限らなかった。

だから、アスファウさんは、
子どもたちに、野菜やニワトリの育て方を教えて、
いざと言うとき、
生き残ることが出来るようにしたいと考え、
そのための農場を欲しいと思った。


新しい校舎と農場…

そのための新しい土地が必要だった。


アスファウさんは、資金を集めるため、
生徒たちに、
一緒にチャリティ・ウォーク行うことを提案した。

チャリティ・ウォークとは、
募金のスポンサーを募って歩くという
いたってシンプルなイベントだ。


ただし、目的地を聞いて、
子どもたちは、
誰もが、それを冗談だと思った。


アスファウさんが、目的地として選んだのは、
エチオピアの古い交易都市、ハラール(Harar)、
しかも、往復して、再び、アディスアベバへ、
歩いて戻るというものだった。


ハラール(Harar)は、
アディスアベバから東へ500キロメートル、
その道のりは、谷を下り、砂漠を渡り、
2000メートルの峠を越えて行かなくてはならない。

そんな場所に、誰一人、
歩いて行こうなどとは思わなかった。


しかし、アスファウさんは、
このチャリティ・ウォークが注目を集めれば、
世界中から、募金が集まると説得し、
そして、生徒たちと出発した。


山々を越え、荒野を渡り、
夜は星空の下で寝た。

過酷な旅の中、
毎日、誰かが脱落していった。

結局、往復1000キロを歩ききったのは、
アスファウさんだけだった。

このころ、エチオピアは、
政治も経済も混乱し、治安も悪化していた。

かつて、アスファウさんが通っていた
ウィンゲート校の教師たちも、
すでに、自国へ引きあげていた。


それでも、アスファウさんの元に、
国内外から、援助が集まった。

募金者の1人は、
すでに、帰国していた
かつてのウィンゲート校の校長
ロジャーさんだった。


1972年、
アスファウさんの「学校」は、無事拡張された。

それから2年後の、1974年、
クーデターにより、
ハイレ・セラシエは皇帝の座から追われ、殺された。


しかし、それは、エチオピアにとって、
悲しみと苦しみの幕開けに過ぎなかった。


皇帝を追い落とし誕生した、メンギスツ政権の中、
アディスアベバでは、
毎朝、反政府とみなされた者たちの
死体が、何十人も吊るされた。


そして、アスファウさんも、逮捕された。


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当時のエチオピア関連
See this little girl?
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卒業おめでとう!
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Can't you see what our love has done?
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アスファウさんの学校(1)
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=50419172&comm_id=1808806

アスファウさんの学校(2)
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=50447926&comm_id=1808806

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